句読点に気をつけろ――ジャン・エシュノーズ『ジェローム・ランドン』

 月曜日にいつも会う友人のパブロとは、ことごとく読書の趣味が合わない。映画の趣味もあまり合わない。きみはインテロなものが好きだからねと、よくからかってくるし、図書館のねずみ呼ばわりしてくる。インテロというのは知的なものを偏愛している人、つまりインテリをからかう言葉。図書館のねずみというのは、日本語でいうところの本の虫のことだ。

 そんな彼と唯一共通の趣向は、深夜出版が好きということだ。深夜出版が好きなんて、きみも人のことをインテロとか言ってばかにできないじゃないか……なんて思ったりもするけれど、口にはしない。アルプ=ド=オート=プロヴァンス出身の彼は、僕の地元の作家なんだ、僕のお父さんも大好きな作家なんだよとジャン・エシュノーズのことを自慢げに語ってくる。そんなジャン・エシュノーズを輩出した深夜出版を敬愛しているのだ。

 もちろん、そんな彼が薦めてくる本は、ジャン・エシュノーズ『ジェローム・ランドン』だ。この本は、深夜出版を創設したジェローム・ランドンとのエシュノーズの私的な思い出がつづられている。ある日、パブロが「この本は知ってる? 貸すから読んでよ」と渡してきたときに、「もちろん読んだよ。しかも僕もその本が好きなんだ」と答えると、彼は目を丸くして驚いた顔をする。「どうしてこんな本まで知ってるの?」――だって、かつての日本ではヌーヴォーロマンが流行っていたんだから!

 小説家になりたい者にとって第一の問題は、どのようにして自らの書いたものを発表するかということだ。書かれたものを引き出しの肥やしにして、ただ待っていても誰にも読んでもらえない。だから、フランスでは、しばしば出版社に直談判しにいく者がいる。エシュノーズもその一人で、彼はたくさんの出版社に自らの原稿を送ったという。ただ、返答をくれたのは、ジェローム・ランドンだけだった。だから、彼を作家としてデビューさせてくれたランドンとの思い出を、懐かしみながら書かれたのがこの本だ。

 ランドンは、痩せていて背が高く、いつも笑っているというわけではないし、鋭い目つきをしているけれど、微笑んでいるような顔だったという。つまり、威圧感を与えてくるタイプ。そんな彼と過ごし、ロブ=グリエやシモン、パンジェらについて、そして文学観やエシュノーズ自身の小説について話した日々の思い出がつづられている。

 でもやっぱり、あれだけの変わった作家たちを束ねて、ヘンテコな出版物を出しつづけた会社の社主だから、ワンマン気質で、物言いは強いしパワハラ気味。しかしそんなところも愛おしく思いながら、自らを出版界へと導いてくれたランドンへの敬意をエシュノーズは惜しみなく注いでいる。

 ランドンには嫌いなものがとても多い。作家が共同作業をすることは大反対だ。映画やテレビドラマ化のために働くことも反対だ。旅行に行って気を散らすことも反対だ(というか、彼は旅行が嫌いだったらしい)。こうして書いてみると、なんだか作家に書かせるよりも、まるで書かせないように妨害をしているみたいでもある。

 物言いだってかなりはっきりしている。当時の深夜出版は短めの本をたくさん出していたから、エシュノーズもそうしたものを出したいと思って交渉する。しかし、結果はそんなものはいらんと一刀両断。「でも、デュラスは書いてるじゃないですか? 『ノルマンディーの娼婦』は……」「お前はデュラスじゃないだろ」なんて、提案は切り捨てられてしまう。

 笑えるエピソードもある。ジム・ジャームッシュの『ゴースト・ドッグ』を見たあとに、たいそう気に入ったランドンは、ぜひ見るようにと何度も電話を掛けてきたという。自分が気に入ったものがあると、ひとに押しつけずにはいられないタイプだなんて、いかにもワンマンな感じがする。ちなみに、深夜出版の小説の映画化については、「映像化の権利を売るけれど実現しないままになる」ということを理想としていたそうだ。映像化には反対だけど、権利は売ってお金は得たいというやり口だ。

 そんなランドンは、単なる一編集者ではなくて、彼なりの文学観を持っていたという。まずは単数形について。ある文の中で単数形が可能な時は、複数形よりも単数形を使うべきだと言っていたそうだ。そしてエシュノーズも、その意見には同意できるという。

 カンマについても考えを持っている。シモンやサロートのような読みづらく、長ったらしい文章を書く作家を輩出した出版社の社主が、こんなふうに言うなんて意外だった。

毎回、カンマの問題を除いて問題はなかった。それは、ぼくらのあいだの唯一の美的感性のちがいだった。ジェローム・ランドンは、できるかぎりカンマを使って文章を展開していくべきだと考えているのに対し、ぼくはできるかぎりカンマは使わずに、カンマがなくても文のもっているリズムが自立しているべきだと考えていた。だから、ぼくたちはカンマが適切かどうかの議論にたくさんの時間を費やした。

 やっぱり独特な書物をたくさん出した出版社には、独特な社主ありだ。現在のフランスにも日本にも、これほど敏腕なプロデューサーが出版界に果たしているのだろうか。ヌーヴォーロマンは作家らの死だけではなく、ジェローム・ランドンの死によって終わったのだという気がした。

Jean Echenoz, Jérôme Lindon, Minuit, 2001.