パリの日本語の本棚――須賀敦子『ユルスナールの靴』
フランスに来ればフランス語で書かれた新刊書籍が日本の半額近くで手に入るのだし、日本語の書籍なんてほとんど読まないかと思っていた。実際、ソルボンヌの前の大型書店に行けば次から次へと読んでみたい本が目に入るのだし、図書館に行っても事態はまったく同じだ。さらにはパリ中の映画館も駆け回るとなると、必然的に日本語の書籍を読む時間はないはずだった。それなのにやっぱり日本語に触れたくなって、オペラ地区のブックオフに行ってしまう。あれだけ渡仏時に自分に禁じたはずの日本語書籍――よりにもよって翻訳や外国文学論――を、ついに手に取ってしまったのだ。
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日本人街とも言われるオペラには、日本とまったく同じブックオフがあって、少量だけれども日本語書籍が置かれている。ほとんどの日本語書籍は1ユーロでたたき売りされていて、日本語を解せぬ大半のフランス人にとっては無価値な紙束でしかないのだろうけれど、『狂気の歴史』の翻訳が1ユーロで売られているとなんだか少し悲しい気がしてしまう。
本棚の前に立って思うのはそれぞれの書籍には元の持ち主がいたはずだという単純な事実で、これらの本を売った人びとのことを夢想せずにははいられない。例えば『狂気の歴史』は、ヴォルテールをはじめとする啓蒙思想家についての言及箇所の余白に入念にメモが取られていて、それはしばしば本文の内容そのものからはなれ、cf.という記号とともに関連する内容や前の持ち主が考えたことが書かれている。きっとこの本は、パリ第一大学かどこかで歴史学の博士論文を用意していた若者の持ち物だったのではないかと夢想する。同じようなことはトクヴィル『アメリカのデモクラシー』の岩波文庫全巻セットにも言えるのであり、きっと今現在の自らのようなつたないフランス語で数百ページの論文を書くことに決めた人間が、せめてものお守りのようにして、スーツケースの隙間に入れて運んだことを考えると時空を離れた仲間を見ている気分になる。
あるいはジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』のような一般的な読み物もあり、奥付を見ると平成16年(2004年)の文庫初版だから、話題になってすぐに購入したものなのかもしれない。暗闇の中でローガンジョシュやエビのココナッツミルク煮を食べる夫婦の描写が個人的に気に入っているこの小説は、比較的お金に余裕のあった駐在員のパートナーが買ったのではないかと考えたりする。慣れない異国ではあらゆるものが自分を侵食してくるのだし、旦那が仕事に出ている間にせめて自分の時間をつくろうと、フィクションのなかで自分を守る時間をつくろうと、日本で話題の書籍を読むひとりの人間の姿を妄想するのだ。けれども、博士論文が書けずついには妻に捨てられる男の話でもあるから、もしかしたらあらすじを聞きつけた大学院生が、すぐそばのジュンク堂でなけなしのお金から2.5倍の値段を払って買ったのかもしれない。
三浦綾子『氷点』をもってきたのは、きっと中高年の方だろう。日本時代からのお気に入りの一冊だったのかもしれない。でも、もしかしたら意外にも若い学生の可能性も捨てられない。高校生の時、理系クラスで唯一読書の話ができた友人がおもしろいと言っていた一冊だった。のちに医学部に進んだこの友人は小川洋子を好んで読んでいて、ある日、金井美恵子を勧めたら、自分よりも気に入っていた彼女の成熟具合に驚いたことが今でも印象的だ。そのころはまだ、背伸びして金井美恵子のいくつかの初期短編を読んでいただけだった。多くの同級生たちがただ社会的地位が高いから、偏差値が高いからという理由で医学部へ進学した中で、この友人が進学を決めた理由を聞いた時、背筋を伸ばされたことは今でも忘れられず、かのじょを決意させた個人的な体験を他人ににみだりに話したことは未だない。
しかし、『氷点』は、東洋言語文化学院(INALCO)の日本学科の学生が読んで売ったのかもしれない。わたしたちが未だにスタンダールやフロベールをありがたがって読むことをフランス人たちが奇妙がるように、彼らもまた、少し古臭い小説をよく読んでいるものだから。
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ずらりと並ぶ『鬼平犯科帳』の横にそっと置かれた『ユルスナールの靴』を手に取ったとき、こうした空想は止まらなくなってしまう。須賀敦子『ユルスナールの靴』と堀江敏幸『郊外へ』は、こっちへ持ってきたら自分の思考が侵食されてしまうのだし、現実のパリから目を背けてしまう気がして、泣く泣く日本に置いてきたのに――。
単行本発刊の2年後、1998年に出た文庫初版のこの本には須賀敦子のパリ留学の思い出が一部つづられているから、たしかにこの地の留学生が読んでいそうな一冊だ。晦渋な文体をもつマルグリット・ユルスナールの小説や伝記を極力やさしいことばで寄り添って語るこの本は、非常に魅力的で、自分も大いに影響を受けた。だからこそパリには持ってこなかった。今度こそ、自分の言葉と考え方を身につけるために。
しかし、本棚から抜き出したこの一冊の頁を繰ったとき、極めて薄く繊細に、しかし意志の強さを感じさせるまっすぐさで引かれた傍線にとてつもなく魅了されてしまったのだ。この本の前の持ち主は、きっとかのじょ――ユルスナールであり須賀敦子――にとても寄り添って読んでいる。
《私は、男の子とふたりだけで旅をするという、それだけのことに、身も心も固くなっていた》――碩学の筆者がこれほど自身の無邪気な感情を吐露している一節があることに、わたしは今まで気づいていなかった。
あるいは、ジイド『狭き門』のヒロイン、アリサの良さが分からないことを男性の友人に漏らしたあとの一節にも線が引かれている。
私はアリサの好きな数学者にいってみた。とくに、アリサのかたくなさが不可解に思える、と。彼はちょっとあわれむような目をして、こんなことを言った。きみには、わからないだろうか。もしかしたら、女のひとには、こういった純粋さは理解できないのかもしれない。
『ユルスナールの靴』には、こうして処々に頭でっかちな知識人男性への批判が込められている。ゆるやかな思考の痕跡をたどるかのじょのエッセイは、決して流行りのポストモダンのような難解な理論に背を向けるだけではなくて、自らの同時代人〔の男性たち〕の愚鈍さや鈍感さへの鋭い批判が込められている。
[…]友人はまるで重大な秘密を洩らすみたいに声をひそめていった。レンブラントは天才だって、いわれている。この作品はすばらしいだろう。そういって、彼は、顔の一部にだけ、ふしぎな光があたっているその小さな自画像を指さした。作品そのものよりも、天才という表現に私がどう反応するかを、彼が期待をこめて待っているのを感じたとき、気持が萎えた。
この本の前の持ち主は、いったいどうしてこうした箇所に鉛筆で細い線を引いたのだろうか。異国の地で、他者からの借り物のような理論や知識しか語らぬ同国の留学仲間たちに苛立って、かのじょの文章に共感していたのだろうか。あるいは、外国語を駆使し、情報でしかない知識を披露することが知的な身ぶりだと勘違いした駐在員にうんざりしていたのだろうか。
博士論文を準備していた留学生なのか、修行中の芸術家なのか、それとも駐在員のパートナーなのか、あるいは駐在員そのものだったのか、真相は分からぬままだけれども、次の一節にほかの箇所よりも濃く線が引かれていることを発見したときに、前の持ち主の考えが少しだけ分かりそうな気がするのだった。
世間が納得してくれるような〈身分〉を獲得することは、独身女性の彼女にとって、一刻をあらそう急務だったのだ。
ユルスナールの来歴を紹介する章に置かれたこの一文は、ユルスナールじしんの気持ちであると同時に、長らく外国を放浪し、その後も不安定な非常勤講師を勤めていた須賀敦子じしんの気持ちである。あるいは、ひとりパリで自分と向き合っていたはずの、この本の前の持ち主の気持ちを代弁することばだったのかもしれない。