不在の「愛の地図」――クリスチャン・ガイイ『花』

 パリのメトロが大嫌いであまり乗らないようにしているのは、チケットは高いし、いつも異臭がするし、座席には寄生虫がいるかもしれないし、とにかく衛生的にも気分的にも乗りたいと思わせるものじゃないからだ。

 それでもたまに、どうしても乗らなきゃいけない時は、乗客が抱えている本の表紙を垣間見て、読みたい本を探るようにしている。良質な外国語の小説を見つけるのは容易なことではないから、そうやってメトロで他人の読書を盗み見たり、よく他者のレビューに頼っている。もちろん、文芸評論の大家ロール・アドレールの書評やラジオから読む本を決めることがあるし、周囲の研究者が口にしている本を読むこともある。メトロに乗る時の唯一の愉しみ、それは他の乗客の観察だ。

 最近は、ジャン=クロード・ルブランという日本では知られざる文芸評論家のブログを、選書の参考にすることが多い。彼はプレパ(フランスのエリート高校の一種だ)の先生でありながら、毎週最低1冊の小説レビューを自身のブログに掲載しつづけているため、旧作から新作まで、おもしろそうなフランス語圏の小説を見つけるのに彼のサイトは最適なのだ。

 メトロの中でも特にオンボロな(!)6番線を舞台にした小説があると、このブログで知り、さっそく手に取ってみる。その小説は、クリスチャン・ガイイ『花(Les Fleurs)』。1993年に深夜出版から出た本だ。日本では、エシュノーズやモディアノ、トゥーサンと比べて翻訳が少ないけれど、ヌーヴォーロマンのあとの深夜出版を代表する作家のひとりだ。

 この小説を読んだら、メトロに乗りたいと思えるようになるかもしれない。だって、ルブランの書評〔文庫巻末にも再収録〕では、《RATP(パリ交通公団)の路線図が、一組の男女にとってはまるで「愛の地図」のように読まれる》なんて記されていたら、甘美な物語を想像しもするじゃないか。そうだ、この本を読み終えたら、あのひとのところへひさびさにメトロで会いに行こう!なんて……。

 本書はそんな期待が大いに裏切られる一作なのだ。登場人物は、大体三人だ。レインコートに花柄のスカートの女。冴えない男、ポール・バスト。そして語り手だ。男と女は、メトロ6番線で、ダンフェール=ロシュロー駅からトロカデロ方面へ向かう列車で一緒になる。男は、花柄のスカートの女が気になって仕方がない。一駅、一駅と過ぎてゆくたびに、話しかけたくても話しかけることができずにうずうずしている。つまり、《But I'm a creep, I'm a weirdo》なんて口ずさむ男?! 女はなんだか男に見られていることに気づいている。メトロで揺られて運ばれるそんな二人の感情の動きが、ぶっきらぼうに書かれている小説だ。

 一行ごとに視点人物が変化して、男の感情が記されているのかと思えば、次の行では女の感情が書かれている。ジャズミュージシャンを目指していたクリスチャン・ガイイらしい「即興」の文体だなんて言いたくもなるけれど、この文体はジャズだけに由来するわけではない。彼はエピグラムにジョイスを引用しているし、ベケットからの影響も公言している。

 そしてこの小説では、語り手=書き手がしばしば物語に出てきてしまう。うまく書けていないなと気づいた語り手が、しばしば自分に書き直しを命ずる様までが物語に組み込まれている。

彼はバッグを閉める。ファスナーが引っかかる。ファスナーのせいじゃないぞ。バッグのせいだ。中身が詰まりすぎている。何が入っているかって?――まあ、どうでもいいじゃないか。ファスナーというものは、ちゃんとした条件下の条件では使えばちゃんと使えるものだ。「条件」って二回言ったし、「使える」も二回連続だ――見直したほうがいいな。

再挑戦成功。

ちがうぞ。再挑戦「」成功だ。

 ああ、いかにも深夜出版的な小説だな……と嬉しくなり、フランスにもまだ古典的な実験小説が、ヌーヴォーロマン以後にも残っていたことを喜びながら頁を繰ると、列車はどんどん知っいてる駅を過ぎてゆく。デュプレックス、ビル・アケム、パッシー……。列車はセーヌ川を渡り、16区の高級住宅街の方へと向かい、声を掛けられずにいる男に少し同情的になってきてしまったところで事件が起きる。トロカデロで降りる女を追って男も降りてしまい、女が入ってゆく建物に自らも入っていくのだ。

 さて、このあとふたりがどうなったのかは、来たるべき翻訳出版に向けて取っておこう。しかし、一言断っておくと、建物の廊下で男と対面した女の手には、(きっと硬いものが)ぎっちり詰まったバッグがあった。あとは、どうなるかはご想像にお任せします。

 メトロでの人間観察はバレているものなのだし、(むろんこうしたストーカーまがいのことはしないにしても)、他人をジロジロ見るなんてことはしちゃいけないのだ。そして、偶然の奇蹟的な出会いなんてこの世には――それどころかフィクションの世界にすら――ないものなのかもしれないと思わされる。まったく苦々しい小説だ。「愛の地図」という、名書評家の謳い文句に騙されてしまったのだ。

Christian Gailly, Les Fleurs, Minuit, 1993.