【2023年パンフ】ヴィオレット・ノジエールについて知っている二、三の事柄
2023年12月に映画館Strangerにて開催された「フランス映画と女たち」の際に、来場者に配布されたリーフレットの文章から「イントロダクション」を以下に再掲します。
『ヴィオレット・ノジエール』をより堪能するためには、この作品の背景を知ることが有用である。そこでこのコラムでは、作品背景を紹介しておこうと思う。
◎実際の三面記事がモデルである
1933年に起きたヴィオレット・ノジエール事件は、三面記事事件として一般に知られている。三面記事とは、フランス語での《 faits divers 》が示すように、雑多な出来事を示すものである。すなわち、政治家やスターといった大物の人物ではない一般人による、日常の取るに足らない出来事を指す。日本の場合ならば、夕刊紙や週刊誌が報道する事件があげられるだろうか。
この事件は少女による尊属殺人であり、更には犯人が素行不良で、父親からの近親相姦を訴えていたために、当時のフランスで大いに注目されるものとなった。当時の報道から、マダガスカル通りのアパルトマンの6階の小さな部屋にノジエール家は住んでいたことも分かっているが、このアパートの間取りなどは映画でかなり忠実に再現されているようだ。
しかし、現代まで忘れ去られずに有名事件として我々の記憶に残っていることを考えれば、むしろこの事件は歴史的事件と言えるのかもしれないことは多くの者が既に指摘している。いずれにせよ、出発点は三面記事でありながら、歴史的事件となった本事件の複雑さが、人々を魅了してきたことは事実である。
◎近親相姦の有無をめぐって
本作で重点が置かれていることの一つとして、近親相姦の有無がある。ヴィオレットは逮捕後に父親による近親相姦を殺害の理由としてあげたため、実際の裁判でも真偽の判定が重要視されていたからだ。映画は、実際に近親相姦があったかどうかは曖昧を残すように出来ているが、監督本人の意見はどうだろうか。
1978年5月25日、テレビ番組『シネ・プルミエール』にゲストとして登壇したシャブロルは、次のように発言している。
結局、ヴィオレットが13歳のときに父親にレイプされたことを、真実として受け入れることを拒否しました。可能性はあります。でも個人的にはそうは思いません。だから、この主題にとても慎重になりながら、撮影をしたのです。
あるいは、ユペールと共演した同年5月19日の番組では、次のように。
人々はそれを信じるだろう。カルメが『デュポン=ラジョワ』に出たばかりだ。それでも彼を私は選んだ。それ故、彼を選んだんだ。というのも、ヴィオレットは父親にレイプされていないというのが私の視点だったからだ。彼女はでっち上げたんだ。
ここで言われているのは、ヴィオレットの父親役を演じたジャン・カルメは、『デュポン=ラジョワ』という映画でユペールと共演し、ユペールを強姦する役を演じていた。それゆえ、シャブロルは鑑賞者のミスリードを狙って、カルメを父親役に選んだということだ。
シャブロルにとって近親相姦があったと考えることはミスリードでしかなく、番組中で「ちょっとした、あまり良くない接触はあったに違いないだろう」という発言は、時代の影響下にあるものなのだろうか。事件の起きた1930年代よりはリベラルになっていたとはいえ、それでもまだ現代よりは、近親相姦が現実に起こりうるものと考えられていなかった時代の言葉として受け止めるべきか。現代の鑑賞者には、シャブロルの発言をどう捉えるかも重要だろう。
◎ナレーションの間違い
他方で、シャブロルの映画内にも史実と異なる点も存在する。それは、最後のナレーションの情報である。今回は、シャブロルのスクリプトを尊重し字幕を翻訳作成したが、ナレーションには三点の誤りが含まれている。誤りについても指摘しておこう。まずは、シャブロルのナレーションは以下の通り(ちなみに、あのナレーションの声はシャブロル本人だ!)。
1934年10月13日にヴィオレット・ノジエールは死刑を宣告されたが、同年12月24日、アルベール・ルブラン大統領によって恩赦を与えられ、終身重労働へと減刑された。刑務所での模範的な振舞いによりプタン元帥は刑罰を12年に減刑した。出所後は聖職に就くことを決めた彼女は、1945年8月29日に釈放された。ド・ゴール将軍は9月1日に、25年の強制労働の停止に署名した。最終的に 刑務官の息子と結婚し、5人の子供をもうけ、二人は商売を始めた。1963年、死の僅か前に、ルーアン裁判所は前例なき判決を下し、死刑宣告をされていたヴィオレット・ノジエールは全ての権利を再獲得した。
まず、第一の間違いは、死刑宣告がされたのは「10月13日」ではなく、「10月12日」である。次に、ド・ゴールが恩赦を与えたのは「9月1日」ではなく「11月17日」。最後に、ヴィオレットに命じられていた強制労働は「25年」ではなく、「20年」である。いずれにせよ、こうした日付にまつわる軽微な事実誤認はあるものの、シャブロルの映画は、それ以外の点では史実に忠実であろうとしているように思われる。
◎エミールとは誰なのか
作品のモデルが歴史上の事実であるために、映画のストーリーの歴史的事実への忠実さが気になるひとも多いだろう。パリ第一大学で歴史学の教授を務めるアンヌ=エマニュエル・デュマルティーニによる『ヴィオレット・ノジエール――悪の華』なる研究書を参照すると、映画が史実にかなり忠実であることに驚かされる。デュマルティーニは、司法アーカイブや当時の報道記事を詳細に確認することにより、事件の素描と分析を試みているのだが、シャブロルの映画に登場する登場人物たちは、ほぼ全員が実在する人物なのだ!
ジャン・ダバン、デロン医師はもちろん実在するし、ヴィオレットに金銭的援助をしていたとされるエミールなる中年男性も実在する。しかし、デュマルティーニの研究に依れば、エミールのみ、当時、人物の詳細が明らかにならなかったそうだ。
映画の後半の裁判のシーンでは、ヴィオレットが両親から金銭を奪う意思があったかどうかが争点のひとつとなる。ヴィオレットが主張するように、エミールが月1500フランを彼女に渡していたのが事実だとすれば、両親から金銭を奪う必要はなかっただろう。しかし、このエミールが誰なのかは、現実では判明しなかったため、彼女の動機が金銭のためなのか、近親相姦への憎しみなのか、あるいは別の理由に依るのかが明白になっていない。このファーストネームしか明らかになっていない、男性はヴィオレットの証言によってしか存在が確認できないのだ。その証言の内容も、デュマルティーニは詳細に調べ、記述しているので参照しよう。
はじめは優しい保護者を巻き添えにならないように心配していたヴィオレットは、おそらく弁護士に促されたのか、より正確な情報を提供することになる。60代の既婚のブルジョワ、三人の子供の父親、事業を営んでおり、ラ・マドレーヌ〔仏北部〕の近くに職場があり、パリ東部郊外に土地を持ち、二台の自動車を所有しているが、そのうちの一台は青のタルボ14CVというふうに。
こうして具体的な人物像が明らかになるものの、本人が出頭することがなかったために、結局謎に包まれたエミールなる人物は、今もその存在の有無が解明されていない。当時、このエミールに世間は大いなる注目をもち、「エミール、あなたはどこ?」という替え歌までが流行したという。裁判の判決を待ち望む人たちを映すシーンには、「エミール氏は青のタルボに乗っている」と噂する人物が登場する。このように証言の虚実は判明しないものの、大衆に流布した情報であるエミールという人物をシャブロルは、ヴィオレットの血縁上の父親として劇中に登場させた。フィクション化の手続きを取りながらも、彼がいかに当時の証言を検討したうえで、社会を細かく描こうとしていたことがわかるだろう。
◎文学のミューズとして
ヴィオレット・ノジエールの存在は、文学好きによく知られているだろう。彼女は、シュルレアリストたちのミューズとなり、詩作の対象とされたからだ。アンドレ・ブルトン、バンジャマン ペレ、ルネ・シャール、ポール・エリュアールなどが彼女に捧げる詩をつくっている。作中、冒頭の酒場のシーンで青年たちが政治談議をしている際の「ブルトンなら、どうすんだろうな」という台詞、後半のヴィオレットの裁判を待ちわびる群衆の中で新聞を読んだ者が「ポール・エリュアールって誰だよ」と発言するシーンは、文学史への目配せであろう。劇中でも読まれたエリュアールによる詩の抜粋は、以下の通り。
ヴィオレットは解きほぐすことを夢見ていた
血の絆というおぞましい蛇のとぐろを
解きほどいてみせたのだ
◎原作の小説がある
この映画には原作小説が存在する。ジャン=マリー・フィテールによる『ヴィオレット・ノジエール』(1975年)という題のものだ。小説は完全なフィクションというよりもルポルタージュに近いもので、映画制作の際にも大いに参照されただろう。他方で、映画では語られなかったヴィオレットの母親が再婚であることなどが、小説では明白に示されている。ちなみに、ドイツ語翻訳版のこの小説の表紙は、イザベル・ユペールのバストショットである。