叫びと怒り――アブデッラー・ターイア『君の光のもとで生きる』
フランス語で小説を読むということは、フランス共和国の小説だけを読むということではない。タジンの味わい、ミントティーの爽やかさ、ジェラバの布地、そして支配と戦争の忌まわしい記憶。そうしたものも、フランス文学には書かれている。フランス語で書かれたあらゆる小説は「フランス文学」なのだから。
『アデルの恋の物語』(フランソワ・トリュフォー)のイザベル・アジャーニを敬愛し、ソルボンヌでフラゴナールについての博士論文を提出したアブデッラー・ターイアは、モロッコ出身でフランス語の小説を書く同性愛者の作家だ。彼の小説は、通常の小説の慣例である台詞につけるカギ括弧がないという点で、「現代フランス文学における自由直接話法の氾濫」の系譜に組み込めそうなのだが、そんな風に短絡的に「フランス文学」に組み込んでしまうのは暴力的だろう。それは、彼の文学が、ひとが想像するような、上品なおフランスの文学とは遠いところに位置しているからだ。モロッコを舞台にした彼の小説には、おフランスらしい海辺のバカンスも、出会いと別れのパリ北駅も、ソースがかかったホワイトアスパラも、エスプレッソも出てこない。
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『君の光のもとで生きる Vivre à ta lumière』は、マリカという一人の女性の半生をつづった小説だ。マリカは17歳で自らの意思に反して嫁に出され、その後、夫はフランス外人部隊としてベトナム戦争に出兵して死亡、さらには娘もモニックというフランス人の女性に奪われてしまう。そんな悲惨な暮らしを営む女性の心情を、「ベニ・メラル」「ラバト」「サレ」というモロッコの都市の名が冠された三つの章で描いてゆく。
娘のハディージャがモニックのもとで女中として働こうとする時に、マリカはあらゆる手段で止めようとする。その手段とは魔術という現代の西洋社会の規範からは外れたものであり、「進歩的」とされる人々にとっては、ふざけたものに見えるかもしれない。しかし、マリカにとって、そしてモロッコに当時生きた人たちにとって、魔術はれっきとした一つの文化であり知恵なのだ。
だから、《上の連中は、私たちのことを貧しい者、ただの貧しい人間としてしか見ていない》、《彼らは私たちをあざけっているのよ、ハディージャ、私たちの信仰も、霊廟も、聖人たちも。彼らにとって、それ[=魔術]は民間伝承にすぎないの。私たちの人生が、民間伝承なのよ》というマリカの叫びには、強い怒りが感じられる。
マリカは自らの信仰が、白人たちには馬鹿にされていることを理解している。科学的ではないと見なされていることを充分に理解している。しかし、それでもハディージャをモニックから守るため、魔術に頼るのだ。
あなたに選択の余地はない。そしてあなたが二週目に戻るとき、私はあなたに三つの呪具を渡す。一つ目はモニックのベッドの下に置いて、二つ目は彼女の服に投げつけ、三つ目は彼女の靴の中に入れるのよ。それぞれに方法や武器がある。魔術は第一段階にすぎないの。[……]魔術は科学よ、私の愛しいハディージャ。残酷で不正な世界を変えるための私たちの科学。権力者たちに私たちを思いのままにさせないための私たちの科学。私たちは、私たちの魔術で抵抗するの。
かつて西洋とは異なる知の体系に属している国々を訪れたレヴィ=ストロースが、そこでの体験を《金屎のように残る記憶》、《こんな貧しい思い出が、筆をとって書き留めるに値するだろうか》(『悲しき熱帯』)と記しているのを読んだとき、あまりの傲慢さに唖然とさせられた。小説を読むということは、こうした構造化・体系化のために細部を捨て去ることを選んだ者たちの考え方とは対極にあると思う。もちろんドキュメンタリーでもルポルタージュでもないフィクションだけれども、物語の中に書き込まれた細部を通じて、モロッコの現実を少しだけ見ることができるように思うのだ。
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ところで彼の小説は、女性の声が文字化されたようなかたちをした小説が多い。つまり、「ペネロペイア」(『ユリシーズ』)のような形式のものだ。彼がこうした形式を頻繁に使う理由については、2024年11月にラジオ放送されたインタビューでの発言が大いに参考になるだろう。
インタビュアーから、デュラスの《書くこと、それは話さないということでもある。黙るということ。音を立てずに叫ぶこと》(『エクリール』)という一節についての意見を求められた彼は、次のように説明する。
マルグリット・デュラスの言うことは分かりますが、私の周りには叫んでいる女性がかなり多くいましたし、叫び声は実生活で起きていたことですので、自分が同性愛者であることは言えなかったけれども、女性たちの叫び声を模倣したのです。
たしかに書かれている言葉は力強くもあるのだけれど、個人的には、実際には音になっていない〈沈黙の声〉なのだと思って読んでいた。けれども作家によれば、自らの母親や姉妹の日常的な声を模倣したのだという。もちろん小説という音のない形式に落とし込まれた時点で、実際の音声は伴わないのだけれども、ターイアの小説は、以前に紹介したメイリス・ド・ケランガルや、ジュリア・デック、ローラン・モヴィニエとは異なるものだ。
多くのフランス文学が、ささやき声のような、吐息のような、声未満の文学を志向してゆくのに対し、アブデッラー・ターイアの文学は、れっきとした叫び声なのだ。それは「転落」(カミュ)のようだ〔カミュもまたフランスの外(アルジェリア)でフランス文学を書いた作家だった〕。他の作家たちとのこの差異は、彼が小説に閉じ込める怒りに由来するのかもしれない。他の作家たちの小説が現実世界への諦念のような印象を抱えているのに対し、彼の小説は、モロッコを支配したフランスとハサン二世、そして女を家に閉じ込めた男たちへの強い憤りに満ちている。
あなたのお父さんだってほかの男たちと同じなのよ。ただの男。あのひとは何も知らないの。何もしないの。優しい人よ。でもそれだけ。わたしはかわいそうな女を演じながら、彼より強くならざるを得なかったの。彼は先を見れてないわ。わたしの中に入ってこれる、わたしと一緒になれる水曜と土曜の夜しか考えてないの。わかるかしら? セックスよ。あなたのお父さんはそればかり考えているのよ。そのことに支配されてるの。あのひとにとって、それがすべての目標で目的なのよ。
かつて幼いまま、自分の意思なしに家族によって嫁に出され、夫を亡くしたマリカの声は、非常に平易な言葉でできた短いセンテンスが積み重なってできている。モニックの提案に従って結婚を受け入れようとする娘に反対する彼女の言葉の平易さは、学歴の欠如を示すというよりも、湧きあがる怒りを示しているようで、読み進めてゆくと圧倒される。
ところで、引用でも触れられているモロッコにおける性生活の問題については、レイラ・スリマニの『セックスと嘘:モロッコの性生活 Sexe et mensonges : La vie sexuelle au Maro』にて仔細に書かれているので、この書籍についてもいつか紹介したい。
Abdellah Taïa, Vivre à ta lumière, Seuil, 2022.
