【2024年トーク】『海賊のフィアンセ』アフタートーク採録

以下は、2024年8月24日「フランス映画と女たちPART2」にて開催した、『海賊のフィアンセ』アフタートークの採録です。ネリー・カプラン レトロスペクティブのパンフレットの内容を補完する意味でも、観客の皆さまにカプラン像を理解していただくためにも、以下にて公開いたします。

 いま、皆さんに見ていただいた『海賊のフィアンセ』は、本当に素晴らしい作品でして、私の方から作品のつまらない解釈などを付け加えて、皆さんが今感じ取っていただいている感想、この映画への思いを邪魔するなんてことはとてもじゃないけどできません。そこで、今日は作品の解釈というよりも、どちらかといいますと、ネリー・カプランとはいったい誰なのか。マリーを演じたベルナデット・ラフォンとは何者なのか、そして『海賊のフィアンセ』とはいったいどんな背景をもった映画なのかというお話を中心にしていきたいと思います。

 1969年という年号からはじめましょう。フランスでは1968年5月の五月革命の翌年、学生運動の熱気が立ち込めて、急速にリベラルな思想が広がっていったころのことだと思います。ご存じのとおり、1968年のカンヌ国際映画祭が中止になった翌年です。そんな1969年にたったいま見ていただいた『海賊のフィアンセ』は公開されました。

 ただしですね、「なるほど! リベラルな空気が伝播したパリで作られたから、こんな自由で反逆的な映画ができたのか!」と早合点されては困ります。というのも、この映画は公開当時、Commission de Contrôle des Filmsという日本でいう映倫のような機関によって検閲にあっているんですね。「内容がリベルタンすぎる」という理由により、公開禁止ということになりました。誰に対してもの公開禁止です。18歳未満は禁止などではなく。そして、当時の検閲を担当した者は、監督のネリー・カプランに次のように言いました。

「物語の終わりで、マリーが死ぬバージョンを撮り直してくれれば、検閲を通り抜けることができますよ」

 つまり、悪い女は最後に死ぬ――そうした構成への変更が要求されたのです。しかし、ネリー・カプランは負けません。なぜなら、彼女自身は次のように言うのです。「私は自分の映画や小説では、主人公は常に困難を乗り越えて終わってほしいと思う」と。

 そこで、「私には強いバックがついている、私には業界の知り合いがたくさんいるんだ、戦うつもりか?」と、検閲の担当者に対して強く脅しをかけます。もちろん、この『海賊のフィアンセ』は彼女の初長編監督作品で、(シュルレアリストの作家としての活動実績や、短編映画の監督経験はありましたが)強力な映画業界のバックの存在などというのは、ハッタリです。

 しかし、そうした彼女の強気な脅しが効いたのか、映画はまず18歳未満のみが鑑賞禁止となり、数年後には、17歳未満に引き下げられ、更には13歳未満に、そして現在では、「すべての者が鑑賞可能」な作品となったのです。

 さて、この一つのエピソードからも分かるように、ネリー・カプランという監督は、戦う女性であり、非常にラディカルで、力強い監督です。彼女のこうした性格は、もちろん、部分的には当時の風土の影響を否定することもできないのですが、それでもやはり、ネリー・カプランというひとりの女性監督、彼女自身の偉大なる力によるところが大きいのです。

 そこで、まずは、このネリー・カプランとはいったい何者なのかをお話ししましょう。

 彼女は、1931年4月11日にブエノスアイレスで生まれました。4歳年上の兄と薬局を営む父親、そして優しく控えめながらも強い信念をもった母親の四人家族のもとで育ちました。幼少期は、庭で兄とサッカーをすることを好み、いわゆる女の子向けの遊び――お人形遊びのことですが――は嫌いだったと、本人は言っています。

 彼女は比較的裕福な家庭で生まれ、両親に映画に連れて行ってもらえる幸福な毎日を過ごしていました。ブエノスアイレスに輸入されたたくさんのフランス映画を見て、6歳か7歳の時のある夜、寝れずに考えごとをしていると、将来の夢が決まります。そこで、次の日の朝、朝食の場で、次のように言うのです。

「大きくなったら、映画を作るんだ!」

 その時のお父さんからの返答は、「口にものを入れたまま話すんじゃないよ」だけ。子供の夢の話として、軽く流されてしまいます。

 さて、映画監督になりたいという夢は、ある映画との運命的な出会いによって確固たるものになります。それは、アベル・ガンス監督の『戦争と平和』という映画です。アベル・ガンスというのは、グリフィスと並ぶサイレント映画の巨匠です。ネリー・カプラン自身は、「映画の歴史とは、アベル・ガンスの歴史である」と断言するほどに、フランス映画史において、非常に重要な監督の一人です。日本だと、三面のスクリーンに投影する映画である『ナポレオン』という作品が知られているかもしれません。ちなみに、この『ナポレオン』は、最近フランスでレストア版が出ましたので、もしかしたら近いうちに私たちも見れるかもしれませんね。

 アベル・ガンスの『戦争と平和』というのは反戦映画なのですが、第一次世界大戦の戦死者がゾンビのように生き返って行進をするシーンがあるんですね。そのシーンを見たネリー・カプランは、恐怖に慄き、夜は寝れなくなるほどに、この映画の力に、映像の力に圧倒されたそうです。あとで再びお話ししますが、のちに彼女は、アベル・ガンスとともに映画を作るようになります。しかし当時の彼女は、知らず知らずのうちに、既に将来の共同制作者と出会っていたのです。

 彼女はそうして映画をつくることを、いやそうでなくとも、少なくとも芸術に携わることを夢見るわけですが、いきなり芸術制作に携わるわけではありません。とはいえ、諦めるわけにもいきませんので、大学では経済学を学ぶものの、卒業後はアルゼンチンの新聞社や出版社で文化特派員のような仕事をして、とにかく文化事業に関わることをつづけます。たくさんの映画や文学、美術展のレポートのようなものを書き、雑誌のコラムでもなんでも、書けるものは何でも全力で取り組むわけですが、しかし、彼女は、こんな考えを抱くようになります。彼女自身の言葉です。

「何を言おうが、何をしようが、当時のラテンアメリカでは、女性であるということは、何も成し遂げることができないということだ。」

 

 そうして、1952年12月、22歳のときに、彼女は自らの故郷を去ることを決断し、船でフランスへと旅立つのです。この時のことを後年振り返った彼女は、シモーヌ・ド・ボーヴォワールのあの有名なフレーズを真似するようにして、次のように言っています。

「私は二度生まれた。一度目は、生命を授かった時。二度目は、もう戻らないと感じながらヨーロッパへ出発した22歳の時に。」

 こうした自らの故郷からの移動を、ネリー・カプランは「ノマド化」「ノマドになること」と表現しているのですが、この自らの人生に根付いた「根無し草の感覚」「ノマドの感覚」は、『海賊のフィアンセ』のジプシーであるマリーの設定にも反映されているのかもしれませんね。

 さて、時間の都合上、今回はあまり触れることができないのですが、フランスに到着後のネリー・カプランは、シュルレアリストたち――アンドレ・ブルトン、フィリップ・スーポー、マンディアルグそしてピカソやダリ――と、親交を結び、小説家としてデビューします。彼女が当時書いていた小説は、エロティックなもので、こうしたポルノ小説執筆の経験は、後年、制作した『シビルの部屋』という作品とも呼応しているように思えますね。『シビルの部屋』という映画は、日本で公開された時には、残念なことに単なるエロティックな映画として消費されてしまったのですが、あの『エマニュエル夫人』の原作を書いたエマニュエル・アルサンの自伝がもとになった作品なのですね。サドやバタイユに憧れていたエマニュエル・アルサンが16歳で官能小説を書き、出版界の男性に才能を見出され、しかしそれだけでは終わらず……という話なのですが。この映画もきっと、今、2024年の視点で見ると、まったく異なる、単なるエロチックな物語ではないものとして見えてくると思います。

 話を『シビルの部屋』から『海賊のフィアンセ』に。そして、ネリー・カプランの人生に戻しますね。

 彼女はまず、先ほど名前を挙げたアベル・ガンスの共同制作者となります。このふたりの共同制作による作品についてもぜひとも触れたいのですが、時間の都合上、また今度、アベル・ガンスがいつの日か、特集されるときのために取っておきましょう。ちなみに、一つだけ言っておきますと、実はフランスのシネマテークでは、8月29日からアベル・ガンスのレトロスペクティブがはじまります。興味のある方はぜひサイトを除いてみてください。予告動画の中では、ネリー・カプランが大いに影響を受けた『戦争と平和』の亡霊のシーンも使われています。

 アベル・ガンスの共同制作者であるだけではなく、ネリー・カプランは中短編映画の製作もはじめるのですね。それは主に絵画についてのもので、例えば、ギュスターブ・モローについての映画なんかを撮っています。いくつかの美術についてのドキュメンタリーの短編映画の中で個人的に着目したいのは、『源泉、愛された女』というアンドレ・マッソンについての映画です。というのも、この映画は映されている絵画に女性のヌードが多すぎる、性的すぎるという理由で、検閲を受けたのですね。つまり、『海賊のフィアンセ』以前にも、カプランの映画は検閲を受けていたということですね。

 ついに『海賊のフィアンセ』が製作される時期がやってきます。ある時ですね、彼女の絵画についてのドキュメンタリー映画のプロデューサーを務めていた、クロード・マコヴスキーが彼女に対して、次のように言います。

「これまでたくさんのドキュメンタリー映画を作ってきた。そろそろフィクションの映画を撮る時だ。どんな主題の映画を撮りたい?」

 

 そして、ネリー・カプランは、もしかしたら既に知っている方もいるかもしれない有名な言葉を言うわけです。

「自分自身が火にくべられるのではなくて、異端審問官たちを火あぶりの刑にする現代の魔女の物語はどう?」

 こうして、『海賊のフィアンセ』の製作が始まるのです。脚本は、ネリー・カプランがまず書いて、それをマコヴスキーが確認して、添削していく形で、作成されました。

 そろそろ、この映画の主人公、マリーを演じたベルナデット・ラフォンに光を当てる時がそろそろ来ました。ここからは、ベルナデットについて、少しお話ししたいと思います。

 ベルナデット・ラフォンは、たとえばシャブロルの作品やトリュフォーの作品によって、ヌーヴェルヴァーグの女優の一人として知られていますが、18歳でジェラール・ブラン(『いとこ同士』、『美しきセルジュ』の俳優です)と結婚し、その後離婚、さらにハンガリー人の彫刻家であり映画監督でもあったデュカという男性と再婚し、三人の子供をもうけます。このふたりもまたしてものちに破局します。『海賊のフィアンセ』のオーディションの頃には、デュカとの子どもの子育てに翻弄する主婦となっていました。

 そんなベルナデット・ラフォンの印象について、昨日上映された『サラマンドル』で主演を演じたビュル・オジェは、こんな風に語っています。

「私が彼女のことを「肝っ玉母さん」と呼んでいたのは、結局のところ、彼女は離婚後すらデュカの子供たちの面倒を見なければならなかったからだ。彼女は家族全員のために生計を立てなくてはならなかったのだ。」

 

 『海賊のフィアンセ』が撮られようとしているころ、2年間、家事と育児のために映画に出ていなかったベルナデット・ラフォンがオーディションに現れます。オーディションの約束の時間になってもなかなかやって来ないベルナデットを待つネリー・カプランは、「オーディションに遅れるなら、どうせ撮影にも遅れるだろ」とイライラしていたそうです。

 しかし、彼女を実際に目にすると、とても気に入ることになりました。しかもそれは、ヌーヴェルヴァーグのミューズとしての姿としてではなく、別の、これまでとはちがう姿としての彼女に魅了されたのです。当時の印象を、ネリー・カプランは書き留めているので、読み上げてみますね。

彼女は当時、夫がつくった子どもたちを育てることで忙しく、2年間も映画に出ていなかった。このことは母性愛という感情は別としても、よりよく女性と「つながっておくための」男性の戦略に私には思える。私はベルナデットと注意深く観察した。彼女は気に入られようという努力を何もしていなかった。髪の毛はボサボサ、化粧はテキトー、顔にはニキビもあった。しかし、彼女の顔だちに、「もしかしたらマリーになれるかもしれない」という興味深い一面を見出したのです。

 聞き分けの悪い女、男に好かれようとするわけではない女の姿を備えたベルナデットを気に入ったネリー・カプランは、ベルナデットにマリーの役を決め、手紙を出しました。この手紙もまた、『海賊のフィアンセ』をより理解するにあたりとても有益ですので、少し長いのですが、抜粋を読んでみようと思います。

【手紙はパンフレットに掲載されているため割愛】

 ベルナデットはマリーに選ばれたわけですが、実際に撮影がはじまると、大変なことも多々あったそうです。というのも、当時はヌーヴェルヴァーグの時代です。つまり、即興撮影の時代です。しかし、ネリー・カプランは即興撮影というものには興味がなく、しっかりと構成された脚本を基に映画を撮ることを好んだ人でした。ヌーヴェルヴァーグに慣れ親しんだベルナデットとは、こうした点で少し行き違いがあったりもしたそうですが、それでも何とか撮影を終え、実際にできあがった映画を見ると、本当に素晴らしいですよね。

 マリーは、母親が死んだあと、部屋を改造し、様々な小物を集め、壁にはコラージュを貼り、「自分ひとりの部屋」を作ろうとしているかのようにふるまいます。しかし、彼女はあらゆる法に従わない人物でもあります。それは、まず、彼女が「不法滞在者」であることが、物語から明かされていたことを覚えていらっしゃると思いますし、売春という行為によって、町の経済を破壊します。さらには、女性とも寝ることによって、男女二元論の性愛という規範・法さえも破壊して見せます。そして、もちろん、女性とはかくあるべしという神話さえも破壊してしまうように振舞っていました。こうした今、私が法・規範と呼んだものの破壊者としてのマリーの姿を、『海賊のフィアンセ』公開時に絶賛したのが、作家のアンドレ・ピエール・ド・マンディアルグです。マンディアルグは次のように言っています。

女性的な力とは、〈自然〉の掻き乱すような力に支えられた革命的な蜂起であり、息苦しい世界の下劣で古臭い法の破壊を完成させるという点で、永遠なる女性らしさへのノスタルジーとは異なる。これがネリー・カプランの提案である。

 

 マリーは女性というものはかくあるべしという、古臭い慣例や規範を壊すようにして、振舞います。そして、そうしたことを、非常によく表しているのが、この映画の中で何度も流れる、マリーが気に入ってかけていたレコードの曲の歌詞です。

 バルバラが歌っていたあの曲は、「Je me balance」「Je m’en balance」という二つのフレーズが何度も繰り返されていましたが、「Je me balance」というのは、「自由に動くわ」という意味であり、「Je m’en balance」というのは、「どうでもいい」という意味なんですね。途中の歌詞にも、「招くのは私、そしてあなたを追い出すのも私」とあるように、「私が自分の意志で自由に動くわ」「既存の規範なんてどうでもいいわ」という、ある種のマリーのテーマソングのように、この映画全体のメッセージを伝える曲であるかのようにして、そういうわけで何度も何度もあの曲が再生されるわけですね。

 そして、もう一つ指摘しておきたいのは、「自分ひとりの部屋」を作るということは、事物を専有するということですが、マリーはこの悪しき専有という概念すらも破壊しようと試みています。つまり、最後には自らの住処や自らの所有物すらも燃やすことで、すべてを無に返していくわけですね。

 いま、あげたマリーが破壊しようとする法・規範というものは、「資本主義」という、より高次の法に内包されていると言っても、間違いありません。何かを所有・占有し、誰かの領地を奪うことを徹底的に批判すること。それこそが、ノマド、ジプシーであるマリーの生き方です。

 少しだけ、マリーの生きざまからは脱線して、個人的に私が指摘しておきたいのは、この映画は、資本主義への、これまでの家父長制の社会が当然と考えてきた既存のジェンダー感覚には非常に強い怒りの炎を燃やしていながらも、同時に、愛にも満ちた映画であると言うことです。そして、その愛とは、映画への愛です。ネリー・カプランは、自分を育ててくれた、自分の幼少期に寄り添ってくれた、映画への恩返しとしてこの『海賊のフィアンセ』をつくったと言っています。

 映画を上映しているアンドレのバンに乗って、都会まで買い物に行くシーンがあったと思います。きっと多くの人が気づかれたかと、思いますが、あのバンは『昼顔』のカトリーヌ・ドヌーヴのポスターがラッピングされていましたよね。さらに、これは確証がないのですが、あのお店で、マリーに名前を聞いたときに「マリー・マリー? 変な名前だな」というシーンがあったと思います。このマリー・マリーという奇妙な名前は、きっと『嘆きの天使』のローラ・ローラから取られたものだと思います。というのも、プロデューサーのマコヴスキーは、マリーが属する映画の中の女性の系譜――つまり男を魅了する悪女ということですが――として、このローラ・ローラをあげているからです。今日は、そこまで深く立ち入ることはできませんが、マリー・マリーがローラ・ローラのある種の翻案であるとして、考えてみると、それもまた面白いかもしれませんね。

 こうして、本当に素晴らしい映画によって、映画の世界に復帰したベルナデットはここから返り咲くようにして、聞き分けの悪い女を、自律した女性を演じていくことになります。本当にたくさんの作品があり、彼女の生涯のキャリアの中からどれを選んで話そうか大変迷うのですが、今日は、昨日上映した『サラマンドル』のビュル・オジェと共演した映画『Les stances à Sophie』という映画があります。

 字幕がついておらず、画質もあまり良くないもので申し訳ないのですが、このシーンは実は重要なシーンです。というのも、フランスでの妊娠中絶の合法化を定めたヴェイユ法をつくったシモーヌ・ヴェイユ(同姓同名の哲学者ではなく、女性の厚生大臣です)は、このシーンを気に入って、ベルナデット・ラフォンを食事に招いたというのですね。

 念のため、基礎的なことも確認しておきましょう。キリスト教文化圏であるフランスでは長らく妊娠中絶は禁止でした。ですから、中絶をするとなると、非合法的な手段で行うことになったわけです。例えば、アパルトマンの一室で、闇医者のような人が中絶手術を行っているわけですね。こうした時代・歴史についての映画が、シャブロルの『主婦マリーがしたこと』であり、最近のものですと、ノーベル賞を取った作家アニー・エルノーの小説を映画化した、オードリー・デュヴァンの『あのこと』です。

 さて、そうした妊娠中絶を非合法的な手段で行うしかないとなると、もちろんそれは危険であり、しばしば命を落とすことにもなったわけですね。そうした状況を改善しようと、1971年にシモーヌ・ド・ボーヴォワールが発起人となり「343人の宣言」というものが出されます。その宣言書には、「私は中絶をした」と告白する女性たちの名前が343人分載っておりまして、ベルナデット・ラフォンの名前も載っています。そして、明日、上映予定の『盗むひと』のロミー・シュナイダー、同作脚本のマルグリット・デュラス、昨日の『サラマンドル』のビュル・オジエ、そしてデルフィーヌ・セリッグなども、名前を寄せています。

 そうした流れもあって、先ほどお話しした「ヴェイユ法」なるものができ、その法案を制定するために努めたシモーヌ・ヴェイユは、先ほどの映画のシーンを見て、ベルナデット・ラフォンを食事に招いたということです。

 さて、またしても少し話がずれましたが『海賊のフィアンセ』に戻りましょう。こうして、ベルナデットは、自律した女性のアイコンとしての、フランスの俳優のひとりとなり、80年代には、金髪でセクシーなブリジット・バルドーと、表と裏のようなフランス女性のアイコンのひとりとなるのです。バルドーもまた、ベルナデットについてコメントをしていますので、紹介したいと思います。こんな風に言っています。

「私たちは本当に仲がいい。私たちはまったく違う特徴を持っているけれど、同時にお互いを補い合う部分がたくさんある。実際、私たちには、共通点が何もないように見える。でもそんなことはない。いつも一緒に会って話すし、一緒に仕事をしていない時すらも、いつも二人で会っているのだ。撮影現場では、お互いのことをよく見ている。私たちの間には多くの共犯関係があり、うまくいっている。」

 

 こうして、バルドーとはまた違った形の女性像をもった彼女は、『Les stances à Sophie』のあとも、ビュル・オジェと姉妹を演じた『Personne ne m’aime pas』、そして『ジャンキーばあさんのあぶないケーキ屋』まで、ヌーヴェルヴァーグ以後も、今度は自立した力強い女性としての姿をスクリーンで見せてくれたのですね。彼女は2013年に亡くなりましたが、フランスでは、そんな彼女を称えるかのようにレトロスペクティブが開かれました。

 最後に、二人とフェミニズムの関係についての考えを紹介して、このトークを終わりにしたいと思います。まずラフォンについては、彼女自身の言葉ではなく、彼女について語るビュル・オジェの言葉を紹介させていただきます。

「ベルナデットは戦闘的であることが好きではなかった。彼女は戦闘的という言葉は嫌いだった。だが、彼女はフェミニストであった。」

 ラフォンは映画の中では、あれほど反逆的で戦闘的な女性を演じていたわけですが、実際の人生では戦闘的フェミニストではなかったそうです。そうではない形で、フェミニストだったということです。

 他方で、ネリー・カプランもまたフェミニズムや女性と映画というものに対し、一つの意見、信念をもっています。晩年のインタビューの発言を読み上げてみようと思います。

「いくつかの上映会に参加したこともありましたが、今はそれが罠になっていると思います。本質的には、そんなものはゲットーです。例えば、私は女性の映画祭と呼ばれるものに完全に反対しています。猫の映画祭も見たことがないし、猿の映画祭だって見たことがない。なぜ女性の映画祭なのでしょうか? 創造とはアンドロギュノス、両性具有的なものなのだと私は書いたことがあります。女性向けの映画/女性の映画だと言われたら、それはもう映画ではない映画なんです。」

 ネリー・カプランは非常にフェミニスト的でありながら、「女性の映画」「女性向けの映画」というものに対して反対しています。もちろん、これはフェミニストであることに反するわけではありません。彼女は、女性/男性という二分法そのものを無効にすることを要求しているのであり、さらには異性愛という規範にも異を唱えている部分があります。それゆえ、先ほど確認したように、マリーを性的に搾取するのは男性だけではなく、女性の地主もいたのでした。

 もし、ネリー・カプランのことばを踏まえるのなら、もしネリー・カプランが生きていたのならば、こんな「フランス映画と女たち」などというタイトルのついた上映会には怒ってしまうかもしれません。

 ただ、残念なことに、まだまだ世界は、映画の世界は、男性中心主義的な思考が蔓延し、女性を男性の性的快楽の対象としてみなすような映画の見方も減っていません。そこで、いつの日か、「映画は、映画監督は、俳優は、そして芸術家とは、アンドロギュノス的なのだ」と、断言する日を到来させるためにも、こうした「フランス映画と女たち」のような上映会を行ってゆくことが、これまでの女性監督や女優を無視してきた映画批評史を見直すような映画の新たな見方を取り入れていくことが、今の私たちにできることなのかもしれません。そうした意味で、この上映会を明日からも続けていきたいと思います。そして、今後も、映画を見る会を皆様と続けていけたらと思います。もちろん、ネリー・カプランの他の作品たちも日本公開されたら大変うれしく思います。特に、老人版ボニーとクライドと言えるような映画『シャルルとリュシー』なんかぜひやりたいですね。さまざまな特集案が頭の中にはあります。ぜひ実現したいところです。

 長くなりましたが、本日はご清聴頂きありがとうございました。

(アンスティチュ・フランセ東京にて)