同意と検閲――アラン・ロブ=グリエ『鏡の神殿』

 研究や翻訳のためにフランス国立国会図書館に行くことが多いのだが、そこへ行けばフランスで出版された大抵の書籍は見ることができる。一応、マルグリット・デュラスについての博士論文を用意している身なので、彼女と同時代の文学運動であるヌーヴォーロマンの作家たちのテクストはすべて読むようにしている。

 しらみつぶしに手あたり次第読んでいた時に、フランス最大の図書館から1冊の本が欠本となっていることに気づかされた。アラン・ロブ=グリエが文章を寄せた『鏡の神殿(Temple aux miroirs)』という写真集だ。1977年に発行されたこの本は、イリナ・イオネスコという写真家によるものだが、被写体が娘であるエヴァという少女のヌードであるために公開を取りやめているのだと司書に伝えられてしまう。

 だが、それで閲覧を諦めることなどできるはずがない。こちらは博士論文執筆のための資料をひとつでも多く目に焼き付けてから帰国したい。そうして、至るところでこの写真集を見る方法はないかと聞き回っていたところ、あるとき、ジャン・リカルドゥー似の青年に写真集を読む方法を教えてもらう。そうして、ひたすらに坂を上り、まったくこれまで気にかけたこともなかった建物に入り、名前を告げ、恐る恐る書名を口にして手に入れる。

 物語は、娼館めいた一軒の館で展開される。語り手は、建物の中にいる女性たちの誰にも存在を気づかれていないフランク・V・フランシス。サングラスをかけた禿げ頭の男らしい。『去年マリエンバートで』のような長い回廊を進むと、行き止まりはマジックミラーになっていて、奥に存在する少女が見える。この少女は、かつてオペラ座で薔薇を売っていた《 Temple 》という少女によく似ているのだという。ここでタイトルの秘密が明かされるのだ。《 Temple aux miroirs 》――このタイトルは、「鏡の宮殿」であるとともに「鏡のなかの少女テンプル」も指している。

 文章は、鏡が様々な箇所にかけられた迷宮のような部屋について、幾何学的な単語や表現を駆使して語られる。建物の見取り図というよりも、(あまりに精緻すぎて逆に分かりづらいという点で)立体の展開図を言葉で説明されているようなこの文章は、まさにロブ=グリエ的だと言えるだろう。そして女性たちが、とりわけ未成年の少女が窃視の対象として描写される。そのことを明確に記すのが、彼女たちは常に文中で不動の姿勢を保っているのだ――「それとも彼女は死んでいるのだろうか?」「歴史上の有名な出来事を実物大で再現した博物館の蝋人形のようだ」。「生きたマネキン(mannequins vivants)」や「標本・見本(spécimen)」として描かれる女性たちは、この鏡の館――そしてロブ=グリエ――にとって、装飾・置物でしかない。

 物語は常に写真に付随して展開するが、その写真こそが、まさに母イリナの撮影したエヴァの姿なのだ。薄いレースの手袋や靴下のみを身にまとった未成年で、まだ中性的な部分の残る彼女は、扇情的なポーズを取らされていて、ときに性器を露わにしている写真すら収められている。

 こうして筋という筋のない物語は、彼女が鏡の内側へと融け沈んでゆくことで幕が閉じられる――「鏡に映った自分の姿はぼやけ、今にも溶けて消えてしまいそうに見える。彼女は目を閉じる。すでに、彼女を取り巻くものへの意識は薄れはじめていた。」、「テンプルは、巨大で不気味なイソギンチャクの中に吸い込まれるかのように、スポンジ状に変わってしまった鏡と、同じく実体を失って、いまや一体となってしまった床の中へと吸い込まれてゆくのを感じた」。このラストは個人的にはきらいじゃない。これは、極度にエロチックなアリス譚なのか?!

 この写真集のロブ=グリエによるテクストは、てっきりイリナ・イオネスコの写真を見て(つまり撮影時には同伴せず)、書かれたものだと思っていたのだが、どうやらそうではないようだ。被写体となったエヴァは、自伝的な小説をいくつか発表しており、そのうちのひとつ『無垢(Innocence)』(2017年)には、この撮影時に関わるエピソードが出てくる。

 黒いドレスの母親の横で、薄笑いを浮かべながらコダックのカメラを首から下げているロブ=グリエ。エヴァの母親は、モンブランの万年筆をプレゼントして気を引こうとするこの作家の味方をしていて、彼女には一切の逃げ場がない。エヴァは直接的に、ロブ=グリエの行為を批判することはしないが、自伝的な小説である『無垢』のなかで、しっかりとこの作家への嫌悪を記している――《ロブ=グリエという名前もきらいだった。わたしのドレス(ローブ)が焼かれる(グリエ)気がしたから。それにアランという名も、「ひとつへ」(ア・ラン)という響きをもっていて嫌いだった》。

 ロブ=グリエが倒錯的な性癖を抱えていたことは理解していたつもりだし、少女の裸体を撮影したことで知られるデヴィッド・ハミルトンの写真集に文章を寄せていることも知っていた。それでも、当時、被写体として搾取されたエヴァの直截な文章を前にすると、批判的な感情を抱かざるをえない。

 たしかに『鏡の神殿』に付されたテクストは、非常にロブ=グリエ的なモチーフに満ちたものだ。かつてリカルドゥーが論じたように、鏡が氾濫する世界が描かれているし、そうした意味ではロブ=グリエとヌーヴォーロマンという運動を構成するテクストの一つとして興味深い。詳細に描写されるエロティックな密室というテーマは、山尾悠子の名短編「黒金」にエピグラムとして引かれたロブ=グリエの別の短編「秘密の部屋」を思わせる。

 それ以上に、このテクストを前にして思うのは、わたしたちは60年代から80年代にフランスで氾濫した小児性愛の肯定だ。ヴァネッサ・スプリンゴラが『同意』で描いた時代は、自由をはき違えていたのではないか。未成年の自主的な性愛を重んじているように見せかけて、まだ適切な判断力を身につけていない未成年から性的な搾取をすることを正当化していた大人たちが多くいた時代。あの時代は、絶対に間違っていたにちがいない。

 わたしたちは、マツネフやロブ=グリエに蓋をするのではなく、それらのもたらす害についても考察することが、もっとも愚直でありながらも、現代に文学を考えるということなのだと思う。リベラルなフランス現代思想などという幻想は、もう捨て去るべき時がきている。

Alain Robbe-Grillet, Irina Ionesco, Temple aux miroirs, Seghers, 1977.