ポール・オースターの思い出

 ポール・オースターが死んだみたいだけれど、その報せに心を動かされていない。こんなことを言ったら、熱心なファンには怒られるだろうけれど、自分がそれほど悲しんでいないことに驚いた。

 彼との出会いは、多くのひとびとと同じように、十代はじめの頃の凡庸な読書体験にさかのぼる。外国文学に漠然とした興味を抱いていたものの、何から手をつけたら良いのか分からなかった当時の自分は、駅ナカの本屋で平積みにされた数少ない外国語の著者名が刻印された黒光りした表紙の文庫本を手に取った。それが『ムーン・パレス』だった。

 それまでに知っていた外国文学は、児童文学全集に入っているような子ども向けにリライトされた古典か、三島由紀夫経由で知ったラディゲなどのほんの数冊のフランス文学の古典だけだったから、現代を舞台にしたスタイリッシュな物語が存在していることに驚かされた。それに、ストーリーは至極簡単。いつも誰かを探しに行くのだから、ガンガン読み進められる!

 大学に入って文学男子の御多分に漏れず、ヌーヴォーロマンだとかブランショだとかを読むようになったら、彼の作品の「元ネタ」が分かってしまった気がして、あまり魅力を感じなくなってしまっていた。例えば、『リヴァイアサン』のなかの次の一節。

一冊の本がどこから生まれてくるのか、誰にも言えはしない――とりわけ、それを書いた人間には。書物は無知から生まれる。本というものが、書かれたあとも生きつづけるとすれば、それはあくまで、その本が理解されない限りにおいてなのだ。

 いかにも『文学空間』にありそうな、こうした一節にクサさを感じて、長らく手に取らなくなってしまっていた。でも、だからといって、ポール・オースター作品そのものを腐すことをしたいとは思えない。彼の作品を通じて、ソフィ・カルという女性芸術家の存在を知った。(そして原美術館へ駆けつけた。)書物のもつ神秘を実感させられた。メタフィクションを意識するようになった。引っ越しのたびに、本を詰めた段ボール箱で臨時の家具をつくって、『ムーン・パレス』ごっこをした――《考えてもみたまえ、御機嫌な話じゃないか。ベッドにもぐり込めば、君の夢は十九世紀アメリカ文学の上で生まれるんだぜ。食卓につけば、食べ物の下にはルネッサンスがまるごと隠れてる。まったくこたえられないよ。》

 それにしても、何よりもポール・オースターが与えてくれたのは、「物語」を共有するという体験だった。幼少期から長らく、外国小説を読んでも、その物語を共有する相手なんていなかったけれど、「ポール・オースターを読んでいる」と公言してから、恐ろしいくらいに読書体験を共有できるようになったのだ。

 学校で机を並べる友人も、インターネットを通じて出会ったひとも、友だちの恋人も、誰もが一冊くらいは読んだことがある作家、それがポール・オースターだった。同年代の友人から、自分の親よりも年上のひとまで、みんな彼の小説を知っていた。大学時代によく行っていた近所の飲み屋のお姉さんが、ザ・カスタネッツというバンドが「ムーンパレス」という曲を歌っていることを教えてくれた。「そのバンドのほかの有名な曲は?」と訊ねてみたら、「ないのよそれが」と少し悲しそうに笑っていた。

 今になって考えると、彼の名前が表紙に刻印された書籍のなかで、一番好きだったのは『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』だろう。これは、1999年の毎土曜日に彼がパーソナリティをつとめていたラジオ番組に送られてきた「嘘みたいな本当の話」を編纂したものだ。そのなかにある「Table for two」という話が特に好きだ。

 心ときめくラブストーリーだから? たしかに、一度はなればなれになった男女の運命的な再会は素晴らしい。けれども、それだけが理由じゃない。このふたりが出会うレストランの名前は、ミルキー・ウェイ。まるでムーン・パレスから想起されたような名前じゃないか! もちろんこれはロリー・パイコフさんから送られてきた嘘みたいな本当の話なのだから、ムーン・パレスとミルキー・ウェイには関係などないはずだ。でも、どうしても、ジョセフとデボラは、フォッグとキティーと重なり合ってしまう。

 思えば、ポール・オースターの愛読者のひとたちの人生の語りぶりは、どこか彼の小説めいていた。不在のひと、取り返せない思い出、宙吊りとなった謎、そしてあっけない奇蹟の到来。無関係の物語が侵食しあうことを教えてくれた彼の小説の読者たちは、みんな彼の物語にも侵食されているのではないかと思ってしまうことがある。そんなごく私的な妄想は、「Table for two」によっていつまでも強められてしまったのだ。