2026年デュラス全作品特集をめぐって

 東京日仏学院にて、来たる6月7日より「マルグリット・デュラス全作品上映」が始まります。今回の上映では、日本語字幕付き上映が初となる作品を含む7作品の翻訳を担当しました。以下では、翻訳を担当した作品の中から、個人的におすすめな作品を紹介します。

 もちろん、この大変貴重な機会にぜひ全作品をご覧いただき、類い稀なる作家であるデュラスの映画世界の全貌に触れていただければと思います。ただ、ここではあえて、従来イメージされがちな「デュラス像」(『インディア・ソング』や『トラック』)とは少し異なる魅力が見える作品を取り上げてみたいと思います。

『ラ・ミュジカ』(1966年)

 60年代半ばより、デュラスはテレビ番組の演出を数多く手がけたポール・セバンとともに、インタビュー番組の制作に携わるようになります。そんな時期に、セバンとの共同監督というかたちで制作された初監督作品が本作です。

 物語は、離婚を控えた一組の男女がホテルで最後の夜を過ごし、別れを告げ、それぞれの人生へと向かっていく、ただそれだけの短い時間を描いています。しかし、その静かなストーリーのなかで、デルフィーヌ・セリッグの佇まいには圧倒されます。のちのデュラス作品で繰り返し見られる、悲痛や苦悩を台詞ではなく身振りや歩き方によって表現する演出は、すでにこの作品に現れています。また、《愛が消えて午後に泣くひともいる。彼女はそんなとき映画に行く》という、デュラスによる文章も印象的です。

 なお、夫役を演じたロベール・オッセンについて、デュラスは複数のインタビューで、非常にミソジニー的な男性だったと振り返っています。彼を演出に従わせるため、デュラスは、最後にセリッグを殺す場面があると信じ込ませていたそうです。そんな裏話を踏まえると、いかにしてデュラスは「女が死ぬ」物語を回避しようとしたのか、その企てにも着目していただきたい一作です。

『ナタリー・グランジェ』(1972年)

 デュラスはのちに本作を振り返り、少し説明的すぎたと語っており、本人としては必ずしも満足していなかった様子もうかがえます。しかし、だからこそ、デュラス入門としてはむしろ最適な作品のひとつだとも思います。

 本作と同時期のインタビューで、興味のある人物像を尋ねられたデュラスは、「狂人、犯罪者、娼婦」と答えていますが、そのすべては本作にも登場します。ジャンヌ・モローとルチア・ボゼーによる抵抗の沈黙、そしてジェラール・ドパルデューの、男性性から逸脱したかぼそい声を耳にすると、デュラス作品における「声」の重要性を実感できるはずです。それは、多くの批評で指摘されているオフ・ボイスの使い方だけにとどまりません。発声そのものが、デュラス映画では演出の一部となっているのです。

 なお、本作の背景で流れるラジオ音声が伝えている少年犯罪は、当時のフランス社会を大いに騒がせた実在の事件に基づいています。そうした点からも、デュラスがきわめて同時代的な感覚をもって映画を制作していたことがよく分かるでしょう。

『木立ちの中の日々』(1976年)

 もし今回の特集で一本だけ選べと言われたら、迷わず本作を挙げます。デュラスが、厳格で実学志向だった母と最後まで和解できなかったことはよく知られていますが、本作は、彼女が実人生では果たせなかった「母と娘の和解」を描いた、きわめて幸福な映画です。今回、字幕翻訳を進めながらも、何度も物語に引き込まれ、手が止まってしまいました。

 ただし、本作が素晴らしいのは、単純に母と娘という設定を採っていない点にもあります。ここで描かれるのは、息子を溺愛する母親と、その息子の恋人である娼婦との関係です。しかし、それでもなお、マドレーヌ・ルノーは死を見据えた老年の母親として、そしてビュル・オジェは、母親の理解の届かない遠くへいってしまった娘として見えてしまうのです。

 デュラスは本作について、「Mothers」という非常に美しい文章を書いています。そのなかに、《『木立ちの中の日々』の母親と『太平洋の防波堤』の母親は同一人物だ。私たちの母親だ。あなたの母親だ。私の母親でもある。》という一節があります。映画を見終えたとき、その言葉の意味を、きっと痛いほど理解し、涙を流さずにはいられないはずです。

「マルグリット・デュラス没後30年全作上映」は、2026年6月7日(日)〜7月19日(日)に、東京日仏学院エスパス・イマージュにて開催予定。チケットは、Peatixにて5月16日(土)正午より発売開始とのことです。